橋にかんするあれこれ

中野京子中野京子が語る 橋をめぐる物語』(河出書房新社,二〇一四年三月)読了.じつに多彩な内容で,どこもおもしろく,読むことのよろこびを堪能しました.「序章」のはじめのほうに「どの民族においても、橋に対するイメージはだいたい共通している。橋は二つの異なる世界、日常と非日常、此岸と彼岸を結ぶものであり、人生の困難の象徴であるとともに乗りこえねばならぬ試練、また転換点であり、戦争における最重要地点、出会いと別れの場、ドラマの生まれる舞台である。(p. 10)」とあり,こうした認識にたって,「本書では、さまざまな橋について語ってゆきたい。この世とあの世を繫ぐ橋、歴史的に大きな意味を持った橋、実在の橋、空想の橋、絵画に描かれた橋、小説に出てくる橋[・・・](p. 11)」を記述されています.だれもが知っているような有名な橋もあれば,へ〜こんなのもあったの,とおもわされるものもあります.そんななかで,わたくしの印象にのこったのは「16話 鳴門ドイツ橋」です.徳島県鳴門市の某神社の敷地内に「まるでそこだけ異空間のように、中世ヨーロッパ風アーチ型石橋が架かっている。(p. 110)」のだそうで,これをつくったのは「神社から二キロ離れた坂東俘虜収容所のドイツ人捕虜たちだった(ibid.)」とのこと.第一次世界大戦中に中国の青島で日本軍に敗れて日本各地に送られたおよそ五千人のドイツ人捕虜のうち「約千人が、一九一七年から一九二〇年までの三年間を、坂東俘虜収容所で過ごすことになった。(pp. 110-111)」という事情があった,というのです.しかも,<捕虜収容所>ということばから,現在わたくしたちがふつうに想像するのとはちがう事態が出現したらしい,というのが,すばらしいところです.くわしくは中野氏の本をお読みいただきたいとおもいますが,やはりへ〜とおもわされるエピソードとして,捕囚期間が明けたあとのことを引いておきます.「何と一五〇人以上のドイツ人が帰国せず、培った技術を活かして日本に留まる道を選んでいる。バームクーヘンで有名な「ユーハイム」も、ハム・ソーセージのメーカー「ローマイヤ」も、坂東俘虜収容所の元捕虜が創業者だ。(p. 112)」。こんなこと,はじめて知りました.中野氏はこの16話のさいごで「ドイツ人捕虜の有志たちが力をあわせ、日本にはない石積み技法で頑丈な橋を架けてくれた。小さいけれど、とても大きな、日独の友愛の証がこれなのだ。(p. 113)」と書かれています.まったくそのとおりで,ドイツ人捕虜たちと,当時の鳴門市のひとびとの態度・行動に感動しました.また,これをとりあげてひろく世に知らしめた中野氏にも感謝をささげたいと,おもいます.