快適な(?)住まい

西 和夫『二畳で豊かに住む』(集英社新書集英社,二〇一一年三月)を読みました.「はじめに」につぎの記述があります.

狭いながらも楽しい我が家、 こんな歌があった。[中略]でも、 狭すぎて暮らせないのでは困る。では、 どのくらいの狭さなら暮らせるか。
たとえば二畳ではどうだろう。たぶんみんな、 無理と言うだろう。しかし実質二畳に、 しかも夫婦二人で住んだ人がいる。作家の内田百間(*)である。わずか三畳、 うち一畳は上が物置なので実質二畳、 ここに奥さんと住んだ。

百間は戦災で焼けだされたため,隣家の某男爵邸の一隅にあった小屋を借りて,3年ちかく住んだ,というんですね.かなりの不自由があったとおもうんですが,そんなことを意に介さず,むしろ洒脱に暮らした(らしい)その暮らしぶりを,西氏は百間の日記などから推察し,追体験的に記述されています.ほかにも,高村光太郎夏目漱石や,現代の<住宅>概念からすれば<家>とはいえないような住まいを体験したひとたちを取りあげ,その具体相を紹介し,考察しています.多摩川の渡し場にあった移動可能な「小屋」や,四国の遍路たちのための「茶堂」にふれた章もあり,最終の「第八章」では,第二次世界大戦後に建築家たちが提案した最小限住宅のことを語っています.「夫婦と子供一人」の家族にとっては「七坪が最低限」だとして,そういう建築プランを提案した建築家がいたのだそうです.これが(現在から見て)妥当かとうかは,わたくしみたいなシロートにはもとよりわかりませんけど,<効率>の面からかんがえるなら,ひとつの指標となりうるのではないでしょうか.
西氏のこの本は,今回の大地震とは無関係に企画され出版されたのでしょうけど,ひとの「生き方」について,なにほどかの示唆をあたえるのではないかと,おもわれます.

(*)「間」はただしくは門構えに「月」.インターネット上では変換できなかったので異体字で代用しました.