「窓」をめぐる考察

浜本隆志『「窓」の思想史 日本とヨーロッパの建築表象論』(筑摩選書0027,筑摩書房,二〇一一年一〇月)を読みました.浜本氏は紋章とか指輪とか錠前といった,モノにそくした書物をかずおおく上梓されていますが,今回の本では「窓」をとりあげています.サブタイトルにもあるとおり,建築がメインになるのは当然ですけど,それより,「窓」をキーワードとする比較文化論とでも評するのが適切ではないかと,おもわれます.中世ヨーロッパのゴシック聖堂にはじまって,ヴェルサイユ宮殿やロンドン万博の水晶宮エッフェル塔,ニューヨークのエンパイアステートビルにまで論及する一方,日本の茶室や寺院の鐘楼の特異性にも着目しています.フェルメールなどの美術作品に描かれた「窓」,さらには「飾り窓の女」といった風俗史にもふれており,(日本の遊郭や「夜這い」への言及もあります),はばひろい視野と多様な関心に満ちあふれた論稿になっています.「第1章 ヨーロッパ」に「発信型文化と垂直志向」というサブタイトルを,「第2章 日本」には「受信型文化と水平志向」というサブタイトルを付しているところに,著者の主張を見てとることができるでしょう.もっとも,これだけではあまりに図式的ですけど,こうした認識(というか,仮定)をもとにして,建築や伝説や文学作品や絵画や,ありとあらゆるものごとに挑んでいく著者の姿勢は,きわめてあざやかで,探究することのおもしろさをたっぶりと味わわせてくれます.西洋の回転式のドアと日本の引き違い戸の差,内開きと外開き,縁側に見られる日本のあいまいな境界感覚など,興味深い指摘がいっぱいですが,ごく日常的なことがらについて,へーとおもわされるところがありますので,そうした例をふたつ,引いておきます.

ガラスは日常生活のなかで身近な存在となってきたが、 とりわけその透明性が、 ガラス窓の最大の利点である。ドイツではガラスが曇っていると、 そこから悪魔が覗くという言い伝えがあるので、 主婦はビカビカに磨くのを日課にしている。人びとはガラス窓が汚れているのをとくに嫌い、 ガラス拭きをしない人を怠け者とみなした。(p. 090)

日本ではベランダは恰好のもの干し場であって、 太陽のもとで洗濯物やふとんを干すのは健康的だという考えが普及している。ただしドイツでは、 ベランダで洗濯物を干すことは、 都市景観を損ねるという理由により、 条例で禁止されている。ところが南イタリアではそれは当たり前であり、 ロープにかけて満艦飾のような光景がよくみられ、 規制するのがとても困難な状態である。窓辺の光景は、 国民性や都市の発達経緯の違いもからんで、 ヨーロッパでも一定ではない。(p. 139)