銅像への興味への興味

金子治夫『日本の銅像』(淡交社,2012年 4月)という本を図書館から借りだして読みました.というより,眺めたといったほうがいいでしょうか.金子氏は昭和16年(1941)生まれの写真家で,「はじめ漠然と風景の写真を撮って」いたのを,20年あまり前に「好きなアートの彫刻を入れて撮り始め」たのだそうです.北海道から九州まで全国の銅像を「600点ぐらい撮ったうちから236点を選んで載せ」てできたのがすなわちこの本です.じつにいろいろな場所にいろいろなひとの像がありますね.はじめにことわっておくと,わたくしは銅像に興味があるわけではありません.銅像なんて,むしろないほうがいい,とすらおもっています.すでにあるものまで撤去せよとはいいませんが,やたらと銅像をたてようとするひとたちのオモワクが理解できません.肉体を三次元的に造形して公衆の面前に,それも屋外にさらす,というのは日本人の感性には適さないとおもわれるからです.本書の冒頭に「近代日本の銅像」と題する毛利伊知郎氏(三重県立美術館副館長)の文章がおさめられていますが,そのはじめにちかい部分に「江戸時代以前には街頭などに肖像彫刻を設置する習慣がなかった」(p. 4)とあるのが,わたくしの主張を裏付けてくれるでしょう.ところが,西洋文明を受けいれようとした明治政府の(西洋追従の)姿勢はなぜかはやばやと浸透して,銅像の氾濫をもたらします,毛利氏の文章のなかに,昭和初期にすでに700点ほどの銅像があったらしいことがしめされており,「本格的な銅像設置が始まってから半世紀足らずの間に、わが国に700点以上の銅像が設置されたというのは驚くべきことである」(p. 7)と書かれています.そして現在では「3,000点以上の銅像があるという情報もある」(ibid.)のだそうです.まったくおどろくべきことです.ところで,わたくしは銅像には興味がないと書きましたけど,ひとびとの(銅像にむけた)熱意や意識には,そして銅像にかんする考察には,興味はあります(だから,この本を借りだしたわけです).本書は像主の属した時代の順をおって,「古代〜平安時代」から「大正・昭和時代」まで,それに「番外編」の8章にわけて,銅像の写真を掲載しています.わたくしがまるで知らないひともいますけど,おおくは<有名人>です.金子氏の「あとがき」によれば撮影した分のなかで数のおおいのは<松尾芭蕉明治天皇太田道灌西郷隆盛神武天皇楠木正成>といったところだそうです.こうしたデータから,銅像の創作や設置にかんするひとびとの意識をうかがうこともできるでしょう.なお,金子氏は撮影・選択にあたって「周囲の環境(風景)にマッチしている」ことをあげておられます.銅像そのものだけでなく,まわりの情景もいっしょに写しこまれていて,そこに現代日本銅像の実態を見ることができ,それが本書の特色になっているかと,おもわれます.銅像になんかまったく関心がなさそうなひとが写っている(のもある)のが,おもしろいですね.