「歴史感」とは

本村凌二古代ローマとの対話 「歴史感」のすすめ』(岩波現代文庫岩波書店,2012年 6月)を読みました.「あちらこちらの新聞・雑誌に執筆したものを、加筆修正しながら一冊にまとめた」「岩波現代文庫のために編集されたオリジナル版」だそうです.前二千年紀のオリエント,エジプトにはじまり,古代ペルシアや古代ギリシアを概観したあと,古代ローマからビザンツ帝国の滅亡までを描いています.といっても,ぼうだいなローマ史を教科書ふうに記述するのではなく,ところどころ,ときどきの政治や文化やトピックスなどを,おもに人物中心にとりあげて紹介し,考察するというスタイルをとっています.「歴史感」という,耳慣れない語をサブタイトルに置いていますが,これはおそらく著者の造語で,歴史の現場に(いわば想像のうえで)おもむき,そこからさらに古い「古代」をながめたり,「現代」(同時代)としてのその時代を感じとったり,あるいは「未来」をみつめたりする,そんな感覚を指しているのではないかと,おもわれます.もっとも,そんな解釈はわたくしの直観的な印象にすぎず,著者の真意をどれほど伝えているか保証のかぎりではありませんけど,さほど見当違いでもないでしょう.「序章 ぶどう色の地中海に浮かぶ島」に「クレタ島を訪れたころ、私は奇妙な想念にとらわれていた。目を見張るようなクノッソス宮殿を歩きまわりながら、なぜかしら私はローマ人の心になりきっていたのだ」(p. 4)という一節があるからです.また「一口に古代といっても、四千年の年月には、古代もあり、中世もあり、近代もあり、現代もあった。そこには、あえて名づければ、旧古代、旧中世、旧近代、旧現代があったことになる。現代人は世界史を古代、中世、近代、現代に区分する。それと同じように過去の文明史をながめる人々がいたような気がする」(p. 6)とも書かれています.こうした発想から,なかなかにおもしろい見解が生みだされています.その一例としてヘロンにかんする部分を引いてみます.アレクサンドリアのヘロンは,現代の自動ドアや自動販売機にあたる仕掛けをつくった,とされている人物ですね.さらに蒸気タービンもつくっていたらしいのです.

ヘロンは蒸気タービンすらも考案したといわれる。釜のなかで沸騰したお湯の蒸気が中空の球を支える管を通って球内に入る。この球には二つの鉤状の吹き出し管がついており、そこから蒸気が勢いよく噴出するのでこの球が回転することになる。この装置も早稲田大学の製作した模型でその作動が確認されている。[中略]こうしてみると、二千年前の古代科学は十八世紀の産業革命の時代に紙一重まで近づいていたことになる。そこを突き破れば、蒸気機関の活用はおろかロボットの開発ももっと早く進んでいただろう。なぜそこにいたらなかったかと問えば、その答えは奴隷というロボットがいたからにちがいないのだ。(pp. 48-49)

ほかにも興味深い指摘がいろいろとあり,ことに著者の個人的な体験を織りまぜて語っているところに,親しみがもてます.こどものころ石原裕次郎主演の映画に夢中になったとか,競馬愛好家である著者らしくイギリスでいくつかの競馬場をおとずれたとか.それらのエピソードと「歴史感」とのむすびつきが本書の魅力となっているのかもしれません.ところで,ごく些細でどうでもいいようなことなんですが,気になった点があるので書いておきます.剣闘士の試合について「ポンペイの遺跡に残る落書きなどから判断すれば、「パックス・ローマーナ」の当初のころは敗者の多くは助命が認められていたらしい。指を上に立てれば助命の、下に降ろせばとどめ殺しの合図であった」(p. 115)との記述があります.が,本村氏の他の著書(*)には

現在の冷静な解釈では「斬り殺せ」(Iugula)と叫んで親指を突き上げれば処刑し、親指を下げれば助命した、と考えられている。だから、親指を立てるのが「生かせ」(助命 missio)であり、親指を下に向けるのが「殺せ」であるというのは、二十世紀のハリウッド映画がそう決定した約束にすぎないのである。

とあるんですが・・・.
*)『帝国を魅せる剣闘士 血と汗のローマ社会史』(山川出版社,2011年10月)p. 208. 3か月ほどまえに図書館から借りだして読んだときに,おもしろいとおもって書き抜いたところを,そのまま掲げました.本が手元にないので,正確かどうかは,これまた保障のかぎりではありません.写しまちがいなんかもあるかもしれませんけど,おおすじはちがっていないはずです.