死霊生霊

中野京子氏が「生霊と死霊の見分け方は?」との疑問をブログに載せておられました(8月 6日条)ので,そこにカキコミしようとおもったのですけど,かなり長文になりそうなので,わたくしのサイトの方に記すことにしました.「死霊生霊」といういいかたはよく見うけます.が,その実態はどういうものかというと,なんとなくわかっているようないないような,かなりあいまいなものなのではないでしょうか.ここでわたくしがおもいだしたのは「幽霊伝授」と題する芝鶴丈の文章(*)です.六世梅幸は「幽霊にも二タ通りある。[中略]死霊と生霊だ」とおしえたそうですが,これが<ことば>というもののやっかいなところで,梅幸のいう「幽霊」は,むしろ「怨霊」(ひとに祟るもの)といいかえたほうがいいのではないかと,おもいます.「幽霊」とは死んだ人間がなるものだ,というかんがえのほうが現代では通用している,とおもわれるからです.(諏訪春雄氏ははっきりとそう定義しています).つまり,幽霊に死霊と生霊の2種があるのではなく,死霊とは幽霊の別名だということですね.では,生霊とはなにか.ここで,諏訪氏のいう「異界」と「他界」という概念を借用します.現世に生きている人間は霊魂と身体とからなっています(と,かんがえられています).ところがなぜか,霊魂(あるいはその一部)が「異界」に属してしまった,ということがおきた場合,それが「生霊」だとおもうのです.生霊は,当人が意識していないのが特色です.ですからまったく防ぎようがありませんし,どうすれば退散してくれるのかもわかりません.うらむ相手が亡くなれば生霊も消滅するのかもしれませんが.なお,諏訪氏は幽霊は他界に属し,妖怪は異界に属するとしていますけど,非礼をかえりみずいわせてもらうなら,これはあやまりで,幽霊も妖怪もどちらも異界に属する,と,わたくしはかんがえます.他界に属すのは,死者の霊魂なんですね.ただし,この世にうらみをのこして死んだものの霊魂は他界ではなく異界に属します.そして<ヒュー ドロドロ>というバックミュージック(?)にのって,現世にオーバーラップしてあらわれます.(他界(およびそこに属するもの)がこの世にあらわれることは(通常は)ありません).諏訪氏は,<他界/異界>の別と<幽霊/妖怪>の別を対応付けようとするあまり,ごじしんの構築された体系に矛盾が生ずることに気がつかなかったのではないでしょうか.
余計なはなしをもうひとつ.幽霊も生霊も,そのひとのすがたをとってあらわれる(とされている)ようですけど,これは芝居や絵画におけるいわば約束事で,そうしないとだれの幽霊(または生霊)かわからないので,そう描いているだけでしょう.「刈萱道心」の出家の契機とされる,御台所と側室の髪が蛇となってあらそったエピソードも,生霊のなせることとしていいのではないかと,おもうのですが・・・.

*中村芝鶴『歌舞伎随筆』(評論社,昭和52年 7月)pp. 61-78.