戦争を見物?

木下直之『戦争という見世物 日清戦争祝捷大会潜入記』(叢書・知を究める2,ミネルヴァ書房,2013年11月)読了.木下氏はきわめてユニークな視点・視角から美術や見世物などさまざまな対象にとりくんでおられますけど,今回の本では「明治二七年(一八九四)一二月九日に、東京上野公園を会場にして繰り広げられた日清戦争の勝利を祝う集会」をとりあげています.それも,サブタイトルにあるとおり,著者がタイムスリップして当時の会場におもむき,そこから未来(現代)の読者へむけて実況中継をする,という体裁をとっています.もっとも,この催しだけではなく,日清戦争の経緯やエピソード,軍人や役者や画家などいろいろなひとびとの言動,上野界隈のようすなども語っていますが,この集会をとりあげたきっかけは不忍池のかたわらに「栽松碑」という石碑を見つけたことにあるそうで,そこから,日清戦争にかかわるあれこれをさぐり,この「祝捷大会」にいたったようです.「はじめに」に「国民皆兵の国家建設を進める日本が経験した最初の対外戦争が、いかに国民の心をひとつにしたか、その国民はいかに敵国人を蔑み笑ったか、そして、それを新聞・雑誌がいかに煽ったか、さらにこのことが今ではいかにきれいさっぱりと忘れられてしまったかなどを知るよい機会となる」と書かれており,著者の立場と関心のありようを知ることができます.当時の新聞や雑誌,写真,絵はがき,書籍,文人の回想録など膨大な史料を駆使して,24章にわけて描きだした内容はどこもおもしろく,たのしんで読むことができます.「数年前からは動物園の世界にのめり込」んでいる著者ゆえでしょうか,上野動物園にかんする章はとくにおもしろいです.が,なかにはあれっとおもわされるところもあるので,ささいなことながら,書いておきます.日清戦争のさなか,平壌での玄武門一番乗りというのをやらかして英雄あつかいされた「原田重吉という一兵卒」について,「原田重吉が故郷に錦を飾ったのは、翌年六月末のことである。まさしく本人の預かり知らぬところで、これほどまでに持ち上げられてしまえば、あとは下り坂をゆくしかない。[中略]原田の失敗は、貧窮のあまりに芝居の世界に足を踏み入れ、舞台で原田重吉を演じようとしたことにある」(p. 117)として,指弾されたことをつたえていますけど,原田の芝居はけっこうもてはやされたのではないでしょうか.新富座での興行(明治33年4月)で観客の罵りをあびたという読売新聞の記事が引かれてはいるのですが.あるいは地方と東京で評価のちがいがあったのか.木下氏が書いているように,「当時はそれほどまでに役者の地位が低かったことをも示している」(p. 112)のかもしれません.念のため,原田の芝居の好評と,当人のニセモノまでいたということを記している文章をあげておきます.

その昔、日清戦争における玄武門の勇者、原田重吉は、日本全土の喚呼を買った。そして、戦争が終わると、当人自ら主演者となり、玄武門の芝居をやって、各地を打って回った。その人気たるや大変だった。/ところが、[中略] [ニセモノが]原田重吉になりすまして、玄武門の芝居を打ってまわったのだ。本物が東へ行けば、彼は西。原田が南へまわれば、彼は北方へ立ちまわるという寸法で、スバヤイところ大儲けをしたのである。

添田知道『てきや(香具師)の生活』(雄山閣,昭和三十九年一月),p. 227.