戦後70年を期して

東大和市立郷土博物館で ≪戦後70年企画展示 私たちのまちは戦場だった≫ を見ました.かなりショッキングなタイトルですが,じっさい,多摩地区には多くの軍需工場や軍関連の施設があったのだそうです.(今回,はじめて知りました).そのひとつとして,「昭和13年(1938年)、北多摩郡大和村(現在の東大和市)に戦闘機のエンジンを製造する大きな軍需工場が建設されることになりました。東京瓦斯電気工業株式会社(翌年「日立航空機株式会社立川工場」となる。)です」があり,そうした施設があるならば,アメリカ軍による空爆なんかも当然あったわけで,多摩地区の各市はどこも数多くの爆撃に見舞われ,昭和19年暮れから翌年夏まで,東大和市には12回の空爆があったとのことです.そのさいに受けた壁面の傷跡を写した写真を展示していますけど,これにはまったく,ことばを失います.ほかに,そうした戦禍をしめす写真50数点と,すでに消失した戦争遺跡7箇所をもカラー写真で示しています.ひとりでも多くの(とくに若い)ひとたちに見てほしいものです.