改革のむずかしさ

阿部謹也『歴史家の自画像 私の学問と読書』(日本エディタースクール出版部,2006年11月)という本を図書館の棚で見つけ,借りだして読んでみました.
阿部氏の最晩年の,おそらく最後の著書ではないかと,おもいます.<I 歴史家について/II 学問について/III 読書について/IV 新しい「世間」へ>の4部構成になっており,わたくしは第IV部の「世間」を問題とした箇所をとくにおもしろく読みました.
「世間」とは,ふつうに使われることばですけど,学問的な考察の対象になったことはなかった,と著者はいいます.この,日本独自の「世間」に関連することのうち,とくにすごい指摘(とおもわれる部分)を引いておきます.

日本の場合は、 贈与とか、 贈答とかというものが人間関係の基礎にありますから、 どうしても政治はそこから離れることができないわけで、 政治の次元だけきれいにしろといったって無理なことです。牢固として抜きがたく存在しているわけで、 それを改革しようとするならば、 日常生活の革新をしなければいけない。日常生活の革新をするということは容易ならざることです。そういう意味で、 汚職の追放ということはそう簡単なことではないのであって、 日本の歴史の中にかなり深く根をおろしているものです。それは我々のお中元、 お歳暮を一切やめてしまうぐらいの覚悟をしないとできないことだと思います。
(p. 67)

我田引水かもしれませんけど,先日,大相撲について書いたわたくしの見解に一脈通じるところがあるのではないでしょうか.