箱舟

藤子・F・不二雄「箱舟はいっぱい」(*)武田泰淳「誰を方舟に残すか」(**)を再読しました.
彗星との衝突による地球の破滅がせまっている! そんなときにはデマがとびかい,ひとびとの不安につけこむ詐欺師たちが暗躍します.「箱舟はいっぱい」に登場する二組の家族も,あやしげな詐欺にひっかかりそうになったのですが,詐欺師一味は根こそぎ検挙され,メデタシメデタシとなった,とおもいきや,その詐欺師一味は実は・・・・・・.ネタバレになってしまうのでこのあとの展開は省略しますが,衝撃的なドンデンガエシを創りだした藤子・F・不二雄氏の想像力と冷徹な感性には圧倒される,というほかありません.
「誰を方舟に残すか」があつかっているのは,危機にさいしての「指導者」の判断の問題です.だれの命を助けるのか(ということは,だれの命を見棄てるのか),その「基準」はどこにあるのか.武田氏は2本のアメリカ映画の筋をおいつつ,極限状況下での「判断」を吟味しておられますけど,「正しい」判断や基準などはおそらくどこにもない,というべきでしょう.ところで,「創世記」には洪水のあとにノアが農夫となって葡萄園をつくり,酔っぱらって,その「かくし所」を見たハムが父に呪われる,という記述があります.武田氏は小説家らしい想像力をもってノアの独白とハムの感情とを描きだし,そのうえで,ノアのハムへの呪いについて,つぎのように書かれています.これまた冷徹な認識といわざるをえません.

おそらくノアは、 同族組織の将来をおもんぱかり、 「決定」や「審判」の絶対性をゆるがせないために、 全く政治的な理由から、 敢えて冷静に、 このような演技的な裁きを行なったのであろう。

(*)藤子・F・不二雄[異色短編集]3 箱舟はいっぱい』(小学館文庫,小学館,1995年 8月),pp. 3-18.
(**)武田泰淳全集 第五巻』(筑摩書房,昭和四十六年九月),pp. 407-420.