團十郎という名の威力

大隈講堂で演劇講座「七代目市川團十郎の芸と波瀾万丈の生涯」を拝聴しました.整理券配布開始時刻(10:00)の5分前に着いたんですけど,すでに100名ほどの列ができていました.すごいですね.これは七代目團十郎への関心のたかさを示すものなのでしょうか,あるいは当代(十二代目)の人気のせい,あるいはその両者がまじりあっているのか・・・.
整理券(座席指定制)をゲットしたあと,エンパクの展示《七代目市川團十郎−生誕二百二十年によせて−》を覗いてきました.七代目にかんする諸資料が,錦絵や番付やらいろいろとありましたけど,今回の出品中では,江戸の地以外での活動や行状の記録が貴重です.江戸追放中,信州で逗留していた旧家(関島家)につたわる屏風や書簡類は,七代目團十郎というひとについてのあらたな認識をひらく端緒になるのかもしれません.甲州の贔屓へも,おなじように和歌を書きつけた屏風を贈っており,七代目がけっこう筆まめだったことがうかがわれます.歴代の團十郎では五代目が文人気質に富んでいたようですが,七代目もそれにおとらぬ気質があったといえそうです.
14:45 から,大隈講堂で当代團十郎丈のおはなしを聞きました(聞き手はエンパク助手の木村 涼氏).團十郎丈はなかなか雄弁ですね.はなしがあちこちに飛ぶかと思うと,もとの話題にたちもどったりして,あやういような,着実なような,ヘンな説得力があります(笑).話題はじつに豊富で,七代目團十郎にかんする評価とか,先人たちからおそわったこと,おそわった(おなじはずの)ことがひとによって微妙にちがうことなど,ごじしんの実体験にそくしての話を,おもしろく聞くことができました.とくに印象にのこったことをふたつ書いておきます.ひとつは,「勧進帳」の弁慶の足について.チラシや図録の表紙につかわれている三代豊国の錦絵では,弁慶の右足は能のすりあしになっている一方,左足は親指を上に向けた荒事の表現になっている,のだそうです.おなじく「勧進帳」にかんすることですが,初演のさい,七代目はせりふがおぼえられなかったというんですね.(わかき日の黙阿弥が,無本でせりふを付けるだけの用意を示したので,七代目の信頼を勝ち得た,というはなしがつたわっています).これは,「勧進帳」という演目をあらたにつくりだそうとした七代目にとっては,作品全体の構成や演出に全神経が集中して,じぶんのせりふはあとまわしになってしまったためなんだ,と,團十郎丈はやはりごじしんの体験から語られました.なるほどなあ,と,おもわされました.