これも着眼点がおもしろい

丹下和彦『食べるギリシア古典文学グルメ紀行』(岩波新書(新赤版)1360,岩波書店,2012年 3月)を読みました.「はじめに」の冒頭に「唐突だが、ホメロスを読んでいて、アキレウスが何を食べているか詮索するのはおかしいだろうか」とあります.飲食は人間にとって重要な行為ですから,こうした疑問も当然のこととおもえますけど,しかしホメロスは(飲食について)ほとんど語っていないのだそうです.それでも,わずかながらに触れている箇所があるので,それらにもとづいて,著者は古代ギリシアの食文化にせまろうとします.ホメロスだけでなく他の作者たちの作品(や断片),またローマ時代の著作(アテナイオスの「食卓の賢人たち」など)をも利用しての考察はきわめておもしろく,古代ギリシア世界へとわたくしたちをさそってくれます.はじめの3章ではアキレウスオデュッセウスヘラクレスなど叙事詩の英雄たちの「食」を,つづく2章は抒情詩にうたわれた「酒」の諸相を,さらにつぎの3章では喜劇に見られるたべもののあれこれを紹介し,論じています.古代ギリシア人たちは,けっこういろんなものを食べていたんですね.キャベツが二日酔いにいいとか,「「チーズと玉葱」は戦時中の兵士の携行食である」(p. 84)とか,蛸や鰻もよく食べていたとか,さまざまなエピソードが出てきます.さいごの5章は「食卓の周辺」と題して「食」にまつわるいくつかの話題を取りあげています.古代ギリシア人たちの食事のときの姿勢(寝椅子に横たわって,手づかみで食べていた)とか,手づかみでよごれた手はパンで拭いていたとか.また,喜劇によく登場する「食客」についてもふれています.が,なんといってもおもしろいのは最終の「第14章 古代トイレ事情」です.「食」についてのはなしである以上,「出したあとの処置をどうするか」(p. 184)という問題も避けて通るわけにはいかないので,最後に置いたのでしょう.「すでに古代ローマ市には公衆トイレが存在していた」(p. 186)そうで,「ベンチに等間隔に丸い穴をあけ、そこから下へ落とすようになっていた」(ibid.)とのことです.そしてさらに,「排泄器官の汚れを何をもって拭い清めたか」(p. 192)という問題におよび,「有史以来地球上の各民族」が用いたものを「植物の葉、麦わら、海藻、石、土、砂、水、木や竹の箆、など」(ibid.)と列挙したあとに,アリストパネスの喜劇の詩句(海綿や石をつかった例)を引用し,「私見では、海綿を第一としたい。これは海綿を浸す水の温度調節が可能であれば現代のウォッシュレットに比肩する。[中略]そしてまた、こうした用具(?)の使用は一回きりなのか。いや、その都度洗浄して何度も使い回したのか。想像は尽きない」(p. 196)と書かれています.著者の問題意識の鋭さ(おもしろさ?)が伝わってきます(笑).なお,ヤマザキマリ氏は『望遠ニッポン見聞録』(幻冬舎,二〇一二年三月)のなかに「素晴しき古代ローマの水洗公衆便所」と題する絵を描かれています(p. 25).ベンチには鍵穴型の穴があけられており,そのうえに腰かけて用を足しているひとびとの足元にも小さな流れがあって,「お尻を拭く海綿をここで洗って使う」とのコメントがあります.また,「お尻を洗う海綿が先端に付いている棒」も描かれています.さらに「公衆便所は男女共用」「古代ローマの公衆便所はちょっとした語らいの場でもありました」というコメントもあります.ヤマザキ氏は何を典拠にされたのでしょうか.ひまがあれば,こうした分野のことも調べてみたいですね(笑).