絵を「読む」ことについて語っている本2冊

中村 麗『これだけは知っておきたい「名画の常識」』(小学館101ビジュアル新書,小学館,二〇一二年四月)と木村泰司『おしゃべりな名画』(ベスト新書 371,KKベストセラーズ,二〇一二年三月)を読みました.どちらも西洋美術作品を具体的に取りあげていますが,たんなる解説ではなく,作品の背後の「意味」について探求している点が共通しています.中村氏は「はじめに」で「たとえばスポーツを観戦するとき、なにも知らずに観戦しているだけでも楽しいが、その競技のルールがわかると、何倍も楽しくなりいっそう興味が深まるだろう。また、外国語を習おうとするとき、とにかく単語を覚えることも大切だが、最低限の文法を知ることで、さらに理解がすすんで好奇心をもって身につけることができるだろう。/絵画の「仕組み」も同じようなものだ」(p. 3)と書かれています.そして「「なぜヴィーナスは裸なのか?」「なぜ天使の羽は白いのか?」といった素朴な疑問を手掛かりに、具体的な作例を見ながら、絵画の「仕組み」に迫っていきたい」(p. 4)として,五章にわけて,数多くの作品を比較しつつ,描き方の特色やちがいを指摘し,西洋絵画の約束事や潮流や思想をわかりやすく解き明かしておられます.その一例として,「第1章 なぜヴィーナスは裸なのか?」のなかの,「「考え方」の変化が裸体表現を変える!」という小見出しをもつ部分を引いておきます.

身体表現に見られるこの劇的な変化が起こった時期は、ヨーロッパの社会全体が劇的な変化を経験していた時期と見事に一致する。/この時代を、後世の歴史家は、「ルネサンス」と名付けた。[中略]しかし、ここで誤解してならないのは、ルネサンスによって、キリスト教社会、すなわちキリスト教的な価値観が支配的であるヨーロッパ社会が、キリスト教以外の価値観を信ずるようになったとか、キリスト教的でない社会を目指すようになったということではない。[中略]ではルネサンスにおいて身体表現に劇的な変化をもたらしたものは、いったい、何なのだろうか。それは、人々が生きる現実の世界、いわゆる「現世」に対する考え方の変化である。[中略]ルネサンス以前の人々が、現世を否定することによって「神の国」(天国)に近づくと考えていたのに対して、ルネサンスの人々は、現世を肯定することによって神の国(天国)に近づくことができる、と考えるようになったことだ。(pp. 30-31)

木村氏の本のほうは,全11話(プラス番外編)で,やはり具体的な作品を例に,その背景や創作事情に踏み込んでいます.ごじしんの体験なども織り込んだくだけた語り口ですけど,木村氏には読み込みにあたっての<規範>(とでもいうべきもの)へのこだわりがつよいようです.「芸術家も大変!」と題する「第1話」でデューラーの自画像にふれつつ,画家の地位の問題を論じています.こんにちでは「芸術家」と称するのが当然とされている「画家」も,むかしは「職人」あつかいで,社会的地位はさほど高くなかったらしいんですね.デューラーの自画像が高貴なおももちをあらわしているにしても,世間がそのプライドをみとめてくれるまでには相当の年月が必要で,また,国によるちがいもあるようです.そうした事情を述べたあと,木村氏はつぎのように書かれています.

現在の欧米のアート・シーンの根底には、このように自らの手で芸術家の称号を勝ち取ってきた歴史が潜んでいる。/ひるがえって日本の美術界の現状を考えてみたい。我が国は美術アカデミーが確立した欧米と異なり、芸術家(芸術品)vs職人(工芸品)という構図がとられてこなかった。[中略]しかしこのような芸術家と職人、芸術品と工芸品の境界が曖昧な状態は日本だけの特殊事情といってよく、欧米では通用しないのである。[中略]美術史という学問が浸透していない日本には、美術界全体に絶対的な判断基準となる規範がなく、「なんでもあり」なのが現状である。/また、西洋美術の概念と日本美術の概念が一緒になってしまっていることも、芸術家を目指す人間にとって好ましい環境とは決して言えない。いったんこの二つ潮流は区別され、そして整理されたうえでアプローチされるべきである。(pp. 19-20)

こうした認識にたったうえでの,「第9話 印象派人気の謎」の一節は,なかなかにおもしろいので,引いておきます.ロンドンのサザビーズ美術教養講座でクラスメートに日本人の印象派好きを説明したときの模様です.

多くの日本人がキリスト教徒ではないし神話に精通しているわけではないので、西洋の古典的な歴史画は理解し難い。そして現代の日本社会はブルジョワ社会のため、欧米のブルジョワジー同様に感覚的なものを好む意向がある。[中略]また西洋美術と違い、生活環境を整える工芸品=美術品という歴史があるため、その結果、理知的なものより装飾的で感覚的なものを好む傾向があるのだ(pp. 143-145)

そして,「印象派はフランス古典主義に対する反動で、フランスの美術界にスキャンダラスに登場した前衛的で革新的な美術運動だった。だからこそ、その対極にあるフランスの古典美術とその規範である古代ギリシアから脈々と続いた西洋美術史を知った上で、印象派の作品を鑑賞してほしいと思うのである。そうすることで初めて、印象派が持つ革新性が理解できるからだ」(p. 147)と主張されています.これは,オーソドックスすぎるようですけど,やはり聴くべき見解であるといえるでしょう.