山岸凉子はやはりすごい!

日出処の天子 <完全版>』(全7巻,メディアファクトリー,2011年11月〜2012年 4月)読了.昨年11月以来,刊行されるごとに買ってはいたのですが,全巻そろってから読もうとおもってためていたのが,完結してみると今度はその分量におそれをなし,なかなか手をつけることができずにいました.が,それではツンドク本がたまるいっぽうなので,10日ほどまえに第1巻を手にとり,すこしずつ,あるいは1日に2冊など,読むスピードは一定ではありませんが,とにかく通読しました.やはり,すごいですね(としか,いいようがありません).雄大なスケール,特異な人物設定,ひとびとの(いたましいほどの)感情の流露,読者をひきずりこまずにおかぬストーリー,忘れかねる特異な<絵>など,さまざまな魅力が充満している,とてつもない力作です.少女マンガ史上の金字塔としてたかく評価されてきたのは当然で,いま読んでも古くささを感じさせません.すでにかずおおく論じられているので,いまさらわたくしがあれこれいうまでもないでしょう.ただ,まえに読んだときに感じたこと,そして今回もちょっと気になった(というか,よくわからなかった)ことを書いておきます.全体の構想と,できあがった作品との関係という問題です.山岸氏のことですから,作品全体の構想をきっちりと立てたうえで執筆にのぞんだ,と,おもわれます.ラストシーンも,(ややあっけないような気もしますけど),おそらくはじめから予定されていたのでしょう.何度かくりかえされるこどもたちの殺戮のイメージも,さいごにその意味があかされるべく周到にしくまれた伏線だったにちがいありません.しかし,そうした「構想」がそのままに描かれたとしても,そのほかに,なんらかのあらたな<要素>(ということばでとりあえずよんでおきます)がくわえられることはなかったのでしょうか.たとえば,厩戸王子ははじめは神秘的で謎めいた存在としてあらわれますが,布都姫の登場以後,人間的な感情をむきだしにして,下司や女官に身をやつし,さまざまな画策を弄して,ひとをあやめさえします.こうした推移ははじめからの構想のうちだったのか,あるいは創作とちゅうでの変化・修正なのでしょうか.物語が後半に入ってから,作者によるツッコミふうのカキコミがおおくなるのも,どういう理由によるのか,ささいなことながら,興味を引かされます.
なお,今回の<完全版>は連載時のカラー口絵や予告カット類を多数掲載しています.さすが<完全版>と銘打つだけのことはあります.値段が高いのが難ですけど,ぜひ公共の図書館や中学・高校の図書室にそなえて,多くの(ことにこの作品をまだ知らぬ)ひとたちの閲覧に供してほしいものです.
さらにオマケの感想.『第7巻』には「日出処の天子 楽屋裏」が(オマケとして)載っています.「『LaLa』1984年3月号に掲載された作品」で,「本書[第7巻]の62ページと63ページの間となります」とのこと.深刻なクライマックスシーン(王子と毛人とのわかれ)のまえに,こんなお遊び的なマンガが描かれていたことに,かえって,なんだかほっとします.