よくわからないところに味(?)がある(?)

武田泰淳『ニセ札つかいの手記 武田泰淳異色短篇集』(中公文庫,中央公論新社,2012年 8月)読了.短篇7作をおさめています.高崎俊夫氏は「編者あとがき」で「SF、哲学風コント、映画論、幻想小説等々、本書に収められたバラエティに富んだ短篇は、どれをとっても<戦後文学の巨人・武田泰淳>という旧態依然のイメージを良い意味で覆すような、読むことの愉悦をたっぷりと味わわせてくれる逸品ぞろいである」と書かれています.たしかに「旧態依然のイメージを[・・・]覆す」面はありますけど,「「ゴジラ」の来る夜」は悪ふざけとしかいいようがない,といった評をどこかで読んだおぼえがあります.他の作品についても,評価はまちまちになるのではないかと,おもわれます.わたくしの個人的な感想をいうなら,「白昼の通り魔」と「誰を方舟に残すか」とを,著者の力量がフルに発揮された傑作として推します.「ニセ札つかいの手記」もおもしろいのですけど,この作にはよくわからないところが多いのです.手記をしたためている「私」が深沢七郎をモデルにしていることはすでに指摘されていますが,大衆食堂の「ねえちゃん」もかつて武田家にやとわれていた「女中さん」をとりいれているようです.ほかにも,いろいろなひとやモノをだいたんにぶちこんでいるらしく,作中での会話,たとえば三島由紀夫の「月」にたいする批評も,武田氏じしんのものかもしれませんけど,だれかが発したのをそのままに記しているかもしれないのです.「ニセ札」というテーマをはぐらかすかのようなあれこれのディーテイルこそがこの作の中身であるのかもしれません.「私」がニセ札を交番に届けたときに語られる交通事故のテンマツと警官たちの会話も,百合子夫人の実体験をもととしているようです.ただし,「ニセ札つかいの手記」は『群像』昭和三十八年六月号に発表.毎日新聞の昭和四十四年一月から六月に掲載された『新・東海道五十三次』では,『新・東海道〜』執筆中のこととしています.武田氏は数年前のできごとをあえて,『新・東海道〜』の現在形の時制に組みいれたのでしょうか.