トリビアなおもしろさ

山本陽子『絵巻の図像学 「絵そらごと」の表現と発想』(勉誠出版,2012年 5月)読了.この本のことは夏目房之介氏のブログ(2012年 6月25日条)で知りました.いつか機会があれば読んでみたい本のリストにあげて,といってもそういうリストをじっさいにつくっているわけではなく,書名をメモして記憶のかたすみにとどめておいただけですけど,このほど,7か月あまりをへて,図書館から借りだして読んでみました.(なにしろ本体価格8,000円と高価なものですので).こういう研究方法もあるのか,というのが率直な感想です.山本氏は日本中世絵画史を専門とされているようですが,ふつうの美術史の本とはちょっとちがい,じつにトリビアルな部分にこだわり,そこからの研究と考察をすすめています.「第一部 絵巻の表現から絵師の発想を探る」の冒頭の章では,「あられもない恰好で泣」いている女性のすがたを問題として,他の絵巻などとも比較し,そうした表現がなぜおこなわれたのかを,絵巻の発案者の行状や思想との関連から解きあかしています.つぎの章では,絵巻中のひとや動物の口元から出ている「線」に注目し,この「線」がなんであるのか,どういうひと(や場合)にもちいられているのかをさぐり,声明の譜面との関連を想定されています.さらにそのつぎの章は「画中詞」をとりあげ,詞書と絵とが交互に配される絵巻物の「絵」のなかに文字が書きこまれる次第を考察されています.以降のどの章も目のつけどころがおもしろく,たのしんで読むことができます.「第一部」は6章をおさめ,「第二部 絵巻・絵本の武者表現を考える」も6章からなっていますが,わたくしがもっとも興味深く読んだのは「第三部 絵巻とマンガ・現代絵画の発想」です.マンガの原点を『鳥獣戯画』に置く,などという通説にたいし,それを批判する側の見解を吟味しつつ,絵巻との関連の可能性(いうかその意味)を模索しています.「第三部」冒頭の「「大人げないもの」が発達するとき 相似形としての絵巻とマンガ」の一節を引用しておきます.

絵巻にはマンガと近似する表現は多いが、いずれもマンガの発達する近代までは続かずに消滅してしまう。従って、絵巻の表現そのものが現代のマンガに直接受け継がれている、と言うことはできない。/それでも絵巻のさまざまな表現が、物語性を持つ絵という以上にマンガとの親近性を感じさせるのは、なぜだろうか。私は、ともに「字の読めないような女子供のための補助手段」として軽視されていた「大人げない」メディアが、それゆえの自由さで自在に実験的な表現を行うことで、権威ある大人たちの支持を得るようになっていった発達過程を持つものの近似性に拠るのではないかと考える。(p. 271)