貴重な映像

小沢昭一『芸人の肖像』(ちくま新書 996,筑摩書房,二〇一三年二月)読了.「小沢氏が長らく撮影保管してきた、人物や風景などの膨大な写真」160葉あまりを,「いわう芸」「あきなう芸」など8章にわけて紹介し,さまざまな雑誌類によせた11編の随筆も載せています.1970年代前半ころの写真が多いようです.いまからざっと40年ほどまえの日本各地の情景をつたえてくれています.万歳とか門付とか流しといった,特定の場所をもたない <さすらう>芸もあれば,寄席やストリップ劇場などでの「芸」もあります.それらを,新聞記者やカメラマンがふつうに取材するのとはちょっとちがう姿勢で,ウラ側にまではいりこんで写真にのこした小沢氏の執念(?)には,まったくおそれいりましたと,申しあげるほかありません.「第1章 いわう芸」に付された「万歳の門付体験記」という随筆は,そうしたテンマツ(と,当時の世情や感覚)を語っていておもしろいので,すこしながくなりますけど,引用しておきます.

今年[1971年]の正月、私はまだ現業者を残す尾張万歳に入門して、門付行をともにしたのである。尾張の老万歳師の太夫に、私は才蔵となってつき、流す場所は私の好みで鎌倉と浅草を選んだ。[中略]鎌倉と浅草とでは、浅草のほうがこういう芸を受け入れる土壌ありと睨んでいたが、事実は逆で、浅草の街は冷淡であった。"押し売り獅子舞お断り"の都会風が、旧弊と思われる花柳街にもやはりあった。私は何度もどなられ、戸を激しくしめられた。[中略]才蔵の衣装は尾張の衆の中古をそっくり貰ったものだが、これを着けると小沢昭一と見破られることは少なかった。[中略]が、ある洋菓子店の女店員がしげしげと私をながめて「アッ」と言葉をのみ、自分の小さい蟇口から二百円差し出して「一日も早くテレビにカムバックして下さい。きっとまたチャンスがありますよ」と、小声で私に言った。(pp. 23-24)