有象無象がいっぱい,といったら失礼でしょうか

宮内庁三の丸尚蔵館で ≪明治十二年明治天皇御下命「人物写真帖」 四五〇〇余名の肖像≫ を見ました.「人物写真帖」は「明治12年明治天皇が深く新愛する群臣の肖像写真を座右に備えようと、その蒐集を宮内卿に命じられたことに始まり」,1年あまりで全39冊を完成させたのだそうです.さすが天皇に供するだけあって,豪華ですね.縦40センチ以上,横も30センチ以上といった大判で(サイズがちがうのもありますが),厚さも薄いもので4.5センチ,厚いのは16.5センチもあります.表紙には鳳凰や唐草模様をあしらい,三方の小口に金箔押しをほどこし,留め金具もつけています.内容は当時の皇族や役人や軍人たちで,明治前期のころの「偉いひとたち」を網羅する,貴重な史料といえるでしょう.「図録」は巻末に4530名の人名一覧を載せています.ほかに,写真台紙をはがすことができなかったために氏名不詳のひと(陸軍省所属)が1名いるとのことです.わたくしなんかがまるで知らないひとも多く,へーこんなひとがいたの,と,おもわされます.著名人もいますが,世に知られる肖像とはちがう映像もあって,興味をそそられます.たとえば富岡鉄斎は「富岡百錬 大鳥神社宮司兼権少教正正七位 45歳」として神主姿の写真が図録に載っています.ほかに,どうでもいいようなことですけど,たまたま気づいた例として「田尻稲次郎」をあげておきます.図録に「大蔵少書記官[・・・]明治4年から9年間米国へ留学、イェール大で学ぶ[・・・]第6代東京市長」とあって29歳の写真を載せていますが,なかなかに精悍な顔つきです.このひとは「貧乏人は豆粕を食え」とばかり,豆粕を奨励したそうで,「自宅の階段を二段ふみはずしただけのことで亡くなり、「豆粕々々で栄養不良だったんだろう」などと、豆粕を食わされた市民からいわれたのも、気のどくながら詮方なかった」と評されています(*).
*添田知道『演歌の明治大正史』(岩波新書(青版)501,岩波書店,1963年10月),pp. 196-197.