大奥とは

江戸東京たてもの園で ≪特別展 大奥女中とゆかりの寺院≫ を見てきました.江戸大奥というと,いかにも淫靡であやしげな世界であるかのようで,そうした面をことさらに強調した作品(小説や映画やマンガなど)がいろいろとつくられてきましたけど,実情はどうだったのか.本展のチラシに「昨今、大奥女中ゆかりの寺院や子孫宅から貴重な資料が発見されています。本展覧会では、今まであまり人目にふれてこなかった資料を数多く展示します」とあって,「第一章 大奥と寺院/第二章 大奥と寺院をめぐる事件/第三章 大奥女中たちが残した足跡」という構成で,大奥女中と寺院との関係を取りあげています.大奥につとめる女性たちには,信仰心のあついひとがおおかったんですね.将軍家ゆかりの寺院に参詣したり,寄進したりといった行為が遺された資料からうかがえます.もっとも,当時の庶民大衆からすれば桁外れの寄進を(いくら大奥のやんごとない身分とはいえ)たかが使用人にすぎない女中連がおこなっていたということに,むしろ,おどろかされます.男尊女卑の時代にあって,大奥女中という存在は例外だったのでしょうか.その結果,「大奥と寺院をめぐる」スキャンダルも発生するわけで,「第二章」では「延命院事件/智泉院事件/鼠山感応寺の破却」にかんする資料を展示しています.ほかにも,念持仏や浮世絵など,興味深いものがありましたが,ちょっとおもしろいとおもったのが「新版 宿下り樂双六」です.大奥女中たちの宿下りのさいのたのしみのあれこれを双六に仕立てています.「図録」には掲載されていないので確認することができないのですけど,「かいちやう(開帳)」というのがあったようにおぼえています.寺院での開帳を見るのが,娯楽だったんですね.「梅若」もありましたけど,これは木母寺への参詣を指しているのでしょうか.