ずいぶん変わった「京都論」

井上章一『京都ぎらい』(朝日新書 531,朝日新聞出版,2015年 9月)読了.「まえがき」に「京都を論じた本は、たくさんある。この本も京都論をくりひろげており、テーマの設定に新鮮味があるとは言いにくい。[中略]だが、その書きっぷりに、京都をえがくほかの本とかさなるところは、ほとんどない」とあるように,ずいぶん変わった京都論です.著者の個人的怨念に満ちている,といってもいいでしょう.京都(洛中)のひとびととの接触から受けた諸体験をあれこれと語っていて,おもしろく(とばかりはいえない面もあるのですが)読みおえました.著者は京都府生まれで京大とその大学院に学び,現在は国際日本文化研究センター教授という,ねっからの京都人だとおもっていたのですが,くわしくいうと「私が生まれたのは、右京区の花園、妙心寺のすぐ南側である。そして、五歳の時に、同じ右京区の嵯峨、清凉寺釈迦堂の西側へひっこした。その後、二十年ほどは、嵯峨ですごしている」(p. 14)とのことで京都(洛中)のひとからいわせると,嵯峨は京都ではないらしいんですね.つまり郊外(田舎)だというわけで,そんな観点から発せられたことばを井上氏はいくつか引いておられます.以下,京都人の意識や発想についての考察が繰りひろげられるのですが,お坊さんたちの行状を記したところや,京の寺や建築物などの歴史的な経緯にふれた部分がおもしろいですね.そして,京都人にたいするウラミツラミと同時に,そうしたひとびとからの影響も受けている(らしい)ことについての反省もたっぷりと語られています.このアンビヴァレントな感覚こそが本書の最大の特色かもしれません.なお,「あとがき 七は「ひち」である」には本書の出版元である朝日新聞社への痛烈な批判がふくまれています.おもしろいので,やや長くなりますけど,紹介しておきます.一九九六年に著者は朝日新聞社から『戦時下日本の建築家』という本を上梓しているのですが,なかで「七七禁令」を論じており,この項目名を巻末の索引のハ行のならびにはじめはおいたのだそうです.(著者は「七七を「ひちひち」としか読まなかった」からです).ところが,「中央政府の威光を笠にきる朝日新聞社書籍編集部」はこれをサ行にうつしたとのこと.「ああ、私の信じる「ひち」は、国家権力の手先により、弾圧されたのだ」と,井上氏は書いています.さて,本書では「私は、本文中の69ページに上七軒という地名を、もちだしている。初校の校正刷りでは、そこに「かみしちけん」とルビがふられていた」とのことで,最終的にどうなったのか,著者は確認せずにこの「あとがき」を書かれたようです.69ページの最終行では「上七軒」に「かみひちけん」のルビが振られており,その下に「(ママ)」という注記が見られます.はじめここを読んだとき,なぜ「(ママ)」と記されているのかわからなかったのですが,井上氏のあとがきを読んで,これが編集部による注であることを了解しました.しかし,この処置は好ましいものとはいえません.「(ママ)」は,引用文中の誤記や特異な表記に付すものであって,執筆者の通常の文章に付けるのは,おかしいのです.ここは,「かみひちけん」のルビにアステリスクか「注」の文字を付して,この項(あるいは章)の末尾あたりに「編集部注」として「「かみひちけん」のルビは著者(井上氏)による。「あとがき」を参照のこと」とでもしておくべきではなかったでしょうか.