斬新な視点からの読み解き

田口章子『歌舞伎から江戸を読み直す −恥と情−』(吉川弘文館,二〇一一年(平成二十三)六月)を読みました.江戸時代にかんする(現代のわたくしたちの)イメージ,およびその時代に産みだされた文芸作品などに対する評価には,かたよりやマチガイがあるのではないか,という懐疑から,虚心にむかしのひとびとの意識や感性に立ちかえってさぐってみようとするのが,著者の基本姿勢ではないかと,おもわれます.日本人の行動原理(深層意識)については,「罪の文化」と「恥の文化」の二項対立を提唱したルース・ベネディクトの『菊と刀』が有名ですけど,田口氏はこれにくわえて「情」を重要な特性とした諏訪春雄氏の見解を,「「恥」だけではなく、 「恥」に「情」を加えることで、 はじめて日本文化をとらえることができるというところに独自の視点がある」(p. 10)と称揚し,以後,この観点からの考察をくりひろげておられます.
「第一章 男たちの生き方」では「忠臣蔵・六段目」と「寺子屋」を,「第二章 女たちの生き方」では「心中天の網島」と「摂州合邦辻」と「妹背山」の「吉野川」の場を,「第三章 親子の情景」では「国姓爺合戦」と「千本桜・すし屋」と「伊賀越道中双六」の「沼津」の段とを取りあげ,簡単なあらすじを記したあと,これらの作品についての先人たちの解説や評価に(そうとうに辛辣な)批判をくわえたうえで,「恥」と「情」という観点からのあらたな読み解きをこころみています.どの論稿もきわめてスリリングでおもしろく,たとえば勘平切腹のあと,弥五郎と郷右衛門が「連判状」を取りだして血判させるところでの,

なぜ、 二人は大切な「連判状」を所持していたのか。/腹を切ることで、「連判状」に名を連ねさせてやろうとする仲間たちの配慮からである。返す金五十両と「連判状」をいっしょに持ってきたのはそのためだ。(p. 33)

という指摘などは,相当の説得力があるのではないでしょうか.もっとも,「恥」と「情」というキーワードを強調しすぎている,という印象も禁じえません.「沼津」について,

平作は十兵衛に「恥」をかかせまいと、腹を切り、 十兵衛は平作に「恥」をかかせまいと秘密を明かす。その「恥」が互いを思いやる「情」に裏打ちされているから、 親子最後のこの場面で観客は涙を流すのである。(p. 162)

としているのは,たしかにそうではあろうものの,「十兵衛が敵沢井方であることを知ったから平作は千本松原まで十兵衛のあとを追ったのではない。もとより、 敵の行方を聞き出すことが第一義の目的でなかった。もし、 それが目的だったら千本松原で十兵衛に追いついた途端に腹を切っていたであろう。」(p. 159)という見解には賛同できません.「沼津」の根底にあるのは,やはり敵のありかを訊きだすことだとおもわれるからです.「千本松原で十兵衛に追いついた途端に腹を切って」いれば敵のありかを訊きだすことができるほど,はなしは単純ではありません.そして,半二作品の重要な要素である「策略」に触れていないのも,ものたりない気がします.
もうひとつ,気になったことを書いておきます.「寺子屋」のおわりちかく,松王丸の述懐のあとに出てくる菅秀才の衣装が変わっていることについての戸板康二氏の解釈にたいして,「これは江戸・東京歌舞伎の役者中心主義の芝居における約束ごとで、 「古典劇の約束」ではない。」(p. 56)とされていますが,人形浄瑠璃でも,たとえば「廿四孝」の「筍堀り」のあとに,慈悲蔵が「優美の骨柄。長上下。さわやかに。」登場することをおもうならば,人格の変化に応じて衣装もおのずから変わるのが「古典劇の約束」であるといっていいのではないでしょうか.