吉右衛門とは?

エンパクで《初代中村吉右衛門展》を見てきました.初代吉右衛門といえば,六代目菊五郎とならぶ近代の名優で,時代物にすぐれ,独自の名調子で観客を魅了した,と,歌舞伎関連の本には特筆大書され,そして,たとえば戸板康二氏の著書などにはその役柄と人物とを彷彿させる記述があるので,よく知っている役者のようにおもってしまうんですけど,じっさいはどんなひとだったのか.具体的な資料に接してみたいとおもい,いってきました.ブロマイドやむかしの雑誌や番付や衣裳など,いろいろありましたけど,高浜虚子からのハガキがおおくのこされているあたりに,吉右衛門というひとの,他の歌舞伎役者とはちょっとちがう面が見うけられます.明治43年に「忠臣蔵」の通しと「暫」を演じたさいに,安田靫彦小杉未醒が描いた戯画(六幅)がおもしろいですね.当り役29役で構成した屏風も,実力と人気のほどをうかがわせます.こども芝居のときの写真は貴重なものといえるでしょう,こまっしゃくれた表情を,本人はいやがるかもしれませんが・・・.
14:00 からは小野講堂で映画「熊谷陣屋」を鑑賞しました.開場の10分まえにすでに100名くらい(?)の列ができているという盛況でした.映画の前後に児玉竜一教授の解説があり,熊谷の居所についてのお話が印象にのこりました.かんじんの映画は雑音がおおく,ピントのずれた箇所もあり,あまりいい出来ではありませんけど,古人をしのぶやはり貴重なものといえます.わたくしが感動したのは,首実検のあと,首を受けとった相模のなげきの部分です.ここは相模の見せ場なので,他の人物がよけいな思い入れをしてはならず,かといって気を抜いてしまってもいけないのですが,吉右衛門演ずる熊谷は相模の背後で,小次郎への,また相模への,そしておのれの心中への複雑で沈痛なおもいははっきりとあらわしていました.この部分は,できれば再度見たいですね.なお,わたくしの聞きおとしかもしれませんが,相模の藤の方へのせりふ「お恨み晴らしてよい首ぢゃと、 褒めておやり、 おやりなされて下さりませ」はなかったようです.重大なせりふをなぜカットしてしまうのでしょうか.それと,ナマイキな感想だとの批判を覚悟でいえば,八代目幸四郎の弥陀六はよくなかったですね.せりふや演戯のテンポが不自然です.40歳のひとにこんな役を振るとは,理解できません.さらにオマケの感想.初代吉之丞の梶原はよかったです(笑).やたらと目を剥く大仰なところが,むかしの端敵とはこういうものだったんだろうなと,おもわせます.