マンガ史にかんする証言(あるいはマンガ史のための資料)

小長井信昌『わたしの少女マンガ史 別マから花ゆめ、 LaLaへ』(西田書店,2011年 8月)を読みました.小長井氏は1930年のお生まれで,昭和30年に集英社に入社,少年雑誌の編集部に配属されて10年ほどをすごしたあと,『りぼん』や『別冊マーガレット』などの少女雑誌の編集にたずさわり,さらに集英社の子会社としてつくられた白泉社に出向し,その社長をも勤められた方です.半世紀にわたるマンガとのかかわりを,竹内オサム氏の個人誌『ビランジ』に連載し,その記事をもとにして一本にまとめたのが今回のこの本だそうです.昭和時代の世相や経済界の状況,出版界の動向を回顧しつつ,雑誌創刊や個々の作品創作にまつわるウラバナシ,漫画家さんたちのエピソードなど,じつに多彩な話題が満載で,興味がつきません.著者個人の思い出話のほか,昨今の出版事情や漫画家さんや編集者への批判もあります.つぎの文章なんかは,アタリマエといえばアタリマエのことなのですけど,現代マンガの先細り的な状況からすれば,聞くべき見解といえるでしょう.

竹内オサムさんは、 「マンガは引用と加工の文化」とかねがねいわれているが、 私もマンガ編集者として、 多くのマンガ作品にかかわってきた経験から、 まことにその通りと思う。マンガも、 映画、 演劇、 小説、 あるいは能、 歌舞伎などの古典芸能からも、 また過去の他のマンガ作品からも、 学び、 拝借して、 自分の感性のもとに作り直していくのである。ただマンガ自体をまねするのは、 避けるべきで、 私がマンガを読むな、 と言ってきたのは、 マンガは仕事の上から読まざるをえないのだから、 マンガだけ読んではだめだ、 ということである。(p. 60)

ほかにもいろいろな記述があり,内容的に重複するところもありますけど,新人発掘に意を用いた,ということが強調されているように,わたくしにはおもわれました.(この本の特徴や意義については,竹内オサムの「神様のような人」と題する解説が懇切に指摘しています).標題に記したとおり,マンガ史にとって貴重な著作ですので,関心のあるひとたちには,ぜひ,一読されるよう,おすすめいたします.さいごに,わたくしが感動した箇所をひとつ引いておきます.東日本大震災にふれたところです.

実はこういう時こそ、 マンガのような娯楽が必要なのだと思う。私は覚えているが、 先の戦争の末期、 空襲なども激しくなってきていたが、 浅草の喜劇は大評判だっだし、 戦後すぐ上映された映画館も満員だった。戦後間もなく娯楽雑誌の売行きはすごかったという。人間にとっては、 そういう時こそ、 かえって娯楽というものは必要なのだと思う。
マンガ家も、 出版社も編集も、 今こそ、 おもしろい、 楽しい、 あるいは感動させるマンガを作ってほしいと思う。別に災害をテーマにするというのではない。いいマンガ、 おもしろいマンガは、 必ず読者を感動させ、 おもしろがらせ、 勇気づけるのである。(p. 221)