詮索することのおもしろさ

杉並区立中央図書館で「講座 知の散歩道 『東海道四谷怪談』の『四谷』はどこか?」を聞きました(講師は光延真哉白百合女子大学講師).「四谷怪談」の「四谷」は,現在のJR四ツ谷駅ちかくかと(ばくぜんと)おもってしまうのですけど,これがじっさいどこであるのか,特定するのはかなりむずかしいらしいんですね.作品の元になった巷説は四谷左門町のこととしていますが,歌舞伎の台帳には「雑司ケ谷四ツ谷町の場」とあります.雑司ケ谷だと,戸板を神田川の姿見橋に流すのにも距離的にちかいので無理がないようなのです.が,ほかに,押上のあたり(現在の東京スカイツリーのちかく)にある四谷村を指す,という見解もあるのだそうです.これらの地域を,古地図(および現代の地図)や各種の資料(文献)を用いて,光延氏はくわしく検証されました.さらに,なぜ「東海道」と冠せられたのか,という問題にもふれておられます.これにはいろいろな説があるらしく,三代目菊五郎のお名残狂言にちなんだのだとか,「忠臣蔵」の山崎街道との対比による,とかの説を紹介されていますけど,光延氏ごじしんは東海道四ツ谷宿(藤沢市のさき,大山詣への分岐点)を指している,との見解に賛同されているように見受けられました.その証左(?)として,文政八年正月(「四谷怪談」初演のほぼ半年前)の中村座の演目「御国入曽我中村」の二番目大切に「大山道敵討の場」が仕組まれていることをあげ,この作品と「四谷怪談」との関連を示唆されました(と,わたくしにはおもわれたのですが・・・).ともあれ,「『東海道四谷怪談』の『四谷』はどこか?」という(いわば)些細な問題から発して,探究することのおもしろさをたっぷりと味わうことができたことに対して,講師の光延氏にお礼申しあげたいと,おもいます.