ヌードというやっかいなもの

東京国立近代美術館で《ぬぐ絵画 日本のヌード 1880-1945》を見ました.
明治維新のあと,文明開化の世になって西洋の文物がいろいろともたらされたなかに,裸体画というのもあったんですが,こればかりは,西洋崇拝の風潮にもかかわらず,かんたんには受けいれられなかったらしいんですね.それをあえて取りいれて,あらたな「芸術」を創りだそうとした明治のひともいたわけで,本展のはじめにはそうした作がいくつかあげられています.しかし正直にいって,うつくしいとはとうていおもえません.五姓田義松の「西洋婦人像」(cat. no. 03)なんかは,油彩の筆致はよく研究しているものの,顔や腕の色の黒さや筋肉が異様で,ぎこちなさが目だってしまいます.黒田清輝の作(cat. nos. 19-21,24)も同様です.「智・感・情」(cat. no. 23)はうつくしいといっていいかとおもいますけど,これは美術の精神性をうったえるためのいわばアレゴリーで,じっさいのモデルのからだをデフォルメしているらしいのです.現実の日本女性のヌードを描いて不自然さのない「美術作品」にするのは,やはりむずかしいようです.が,構図や色彩を工夫したり,写実性を排した抽象画にちかいものにしたりと,さまざまな努力がなされた経緯をこの展示は追っていて,けっこうおもしろく見ることができます.わたくしには,デフォルメを効かした萬鉄五郎の作品と,シュールなおもむきのある古賀春江の作品が印象にのこりました.