日本語はむずかしい(?)

蛇蔵&海野凪子『日本人の知らない日本語祝!卒業編』(メディアファクトリー,2012年 3月)を読みました.日本語学校での凪子先生の実体験を描いています.「第1章」では風邪で頭痛がしていたときに外国人生徒から「先生あたまわるいんですか?」といわれたり,「なんか学生が先生は今日「頭がおかしい」って話してましたが」と聞かされたりしており,「第9章」では卒業生たちが「先生!! 大きなお世話になりました!!」と,お礼のことばを述べています.あるものごとをあらわす(はずの)表現が,わずかなことばのちがいによって異なる意味になってしまうところに,日本語のむずかしさ(あるいはおもしろさ)があるようです.ことばだけでなく,各国の風習(たとえばクリスマス)のちがいとか,もののかぞえかた(指を折ってかぞえる仕方)のちがいとか,比較文化論的な考察もあります.なかで,とくにわたくしがおもしろく読んだのは「第七章 キャラクターと言葉」です.「私は中国人アル/これ食べるヨロシ」とか「ワシは博士じゃなんでも知っておる」といった「マンガの中に出てくるキャラクターの話し方」がなぜ多用されるのか,という疑問から「役割語の謎」にいどんでいます.「なぜ博士は「〜じゃ」と話すのか?」というと,そういうしゃべり方は今の関西弁に似ているところが多いらしいんですね.そして江戸時代には「関西弁は昔の言葉って感じがする」ので,「伝統を大切にする人=多くは年寄り・知識人=関西風に話す」という図式ができあがり,いかにもそれらしいキャラをあらわすものとして歌舞伎のセリフにつかわれたりして,現代にも生き残っているのだそうです.中国人の「〜アル」という話し方も,「実際にそう話していた人がいたから」で,「「とりあえず通じればいい」カンタン日本語を考えてみた」結果が「中国人の言葉づかいのイメージとして伝わっていった」らしいのです.なお,ここからはわたくしの勝手な推測になりますけど,「アルヨことば=中国人」という認識の形成にあたっては,昭和13年に出た「チンライ節」が果たしたやくわりがおおきいのではないかと,おもいます.『新版 日本流行歌史 』(社会思想社,1995年 1月)は「歌詞編」に「手品やるアル 皆来るヨロシ」にはじまる歌詞を三番まで掲げたあと,「戦時の歌謡としては軍国色の少ない珍しいもの。歌手樋口静雄は応召中兵隊歌手として現地でこの唄ばかりうたわせられていたという」との記述を載せています.「アルヨことば=中国人」という図式がこの歌によってひろめられたと同時に,そういう認識を当時の日本人たちが(多少の侮蔑をふくませつつ)好んで受けいれていたことをうかがわせます.