読みごたえたっぷり

黒田日出男『国宝神護寺三像とは何か』(角川選書 509,角川学芸出版角川グループパブリッシング,平成二十四年六月)を読みました.「平重盛像」「源頼朝像」「藤原光能像」とされてきた「神護寺三像」をそれぞれ「足利尊氏像」「足利直義像」「足利義詮像」だとする米倉廸夫氏の見解が発表されたのが1995年3月で,それ以後さまざまな論評がおこなわれてきており,黒田氏も米倉氏の説を支持する立場からの発言をいくつかなされていますが,今回の新著はその決定版といっていいでしょう.300ページをこえる大著で,執拗に(といいたいくらいに)神護寺三像にせまっています.「エピローグ」で「私の基本的な構えは、研究史をしっかりとたどることである」(p. 328)と書かれているように,これまでの通説や研究に対して徹底的かつ批判的な考察をくわえるところに黒田氏の基本姿勢があります.そのいっぽう,だいたんなイマジネーションをふるうところに,やはり黒田氏の真骨頂がある,といえるかとおもいます.「源頼朝像」(「足利直義像」)が神護寺において「源頼朝像」としてあつかわれるにいたった経緯を徳川家の神護寺の庇護とむすびつけて考察されている部分は,その好例といえるでしょう.黒田氏はつぎのように記しています.

神護寺にあった名無しの肖像画のなかから、かつての足利直義像を選びだして「頼朝御影」と名づけ、それを徳川家康の前に掛けたのではないか、と私は想像している。あまりにも当然のことだが、勧進の訴えを効果的にするためには、しばしば絵図や絵画が用いられたのである。(p. 123)

ほかに,直義が「二三日という日付で寄進や奉納を繰り返している」ことについて「彼には、亡母上杉清子への強い思いがあったといえるだろう」(p. 225)としているのも,やはり黒田氏のイマジネーションのなせるわざといっていいかと,おもいます.ただし,これらは諸史料の綿密な読みからみちびかれたもので,想像をほしいままにした「空想」ではなく,おそらくそのとおりであろう(それ以外にはかんがえられない)と,読者を納得させるだけの説得力に満ちています.かなり濃い内容で,むずかしい記述もありますけど,ちかごろおもしろく読んだ本のひとつです.
ところで,本書とは直接関連しないことながら,気になったことがあります.足利直義という人物を江戸時代のひとびとはどう見ていたのでしょうか.じっさいの直義は,兄の尊氏と「二頭政治」をおこなうだけの器量すぐれた政治家であると同時に,夢窓疎石の撰述とされる『夢中問答集』の問者となりうるほど仏門の教理につうじた人物であった,とは本書ではじめて知りましたが,江戸時代のひとびとの直義についての知識はどれほどのものだったのか.足利直義と聞いてわたくしがおもいだすのは「仮名手本忠臣蔵」の「大序」の登場人物です.ことに歌舞伎では座元の若太夫が勤めることがおおい(らしい)ので,貴公子のイメージがつよいのですけど,「暦応元年」という時代設定からすれば,史実の直義は32歳のはずなんですね.浄瑠璃や芝居は「世界」を通俗日本史から借りるものの,時代や人物の設定は史実のとおりではなく架空のものもおおいので,芝居のはなしを持ちだすのは場違いだと批判されるかもしれませんけど,芝居でつくられたイメージが当時のひとびとの「日本史」に反映されることもあったのではないでしょうか.