吾妻ひでお氏の前衛性

『よいこのための吾妻ひでお』(河出書房新社,2012年 7月)を読みました.監修のとり・みき氏は吾妻ひでお氏の画業を六期に分けて解説されています.世上では「不条理日記」にはじまる第三期の評価がたかいようですが,とり氏は「第一期・第二期をネグレクトした吾妻ひでお論は成り立たない、そう思っている」(p. 222)と記して,この巻では70年代の作品を取りあげています.冒頭におかれた「二日酔いダンディー」について

吾妻作品を語るとき重要なのは眼の表現である。他人とのコミュニケーションを拒む虚無的な眼。直前の短編『タイガーパンツ』の主人公から、ネコイヌ、そしてぶらっとバニーへ引き継がれる瞳のない眼。少年マンガの主人公としては極めて異質だ。/眼だけではない。彼は常にタバコを吸っている。これは実は口元を隠す手段でもある。つまり主人公はいきなり眼と口元の芝居を封印されているのである。(pp. 222-223)

と書かれていますけど,かんがえてみると,これは「少年マンガの主人公として・・・異質」であるだけでなく,少女マンガや他分野(絵画や映画や演劇)を視野にいれても,きわめて異質な表現というほかありません.当時の吾妻氏がアンチロマンとかアンチテアトルといった「流行語」(といってわるければ,そうした「流れ」)を意識していたかどうかはわかりませんが,通常のマンガに対する「否定」の要素が初期作品からすでにあったこと,つまり吾妻氏の作品は「マンガ」であると同時に「アンチマンガ」でもあったということはまちがいないでしょう.「『不条理日記』が、決して突然変異ではなかった」(p. 222)と,とり氏が書かれているとおりです.なお,本巻には「タバコおばけだよ」が8本掲載されています.「コマは正方形で均等割でセリフのないサイレント・・・・・・あれれ?」(p. 230)と,とり氏の解説にあるように,「遠くへいきたい」とおなじスタイルです.「遠くへいきたい」の発想の元にはマルチスクリーンがあったにちがいない,と,わたくしはおもっていたのですが,それより10年もまえにこうしたスタイルに挑んだ吾妻氏の創作意欲には,まったく驚嘆させられます.