「古いようで新しい、知っているようで知られていない」

岡田温司『アダムとイヴ 語り継がれる「中心の神話」』(中公新書 2188,中央公論新社,2012年10月)を読みました.「おわりに」の冒頭で著者じしんが「まさか四冊目を書くことになろうとは、思いもよらなかった」と書かれています.中公新書ですでに「キリスト教図像学の三部作」を上梓されているからです.が,「実のところ図像学というよりも人間学というほうがよりふさわしいのではないか」とあるとおり,この『アダムとイヴ』は美術だけでなく文学や神学,哲学など多くのジャンルを視野にいれつつ,「最初の人間」にせまっています.これはなかなかやっかいで,しかしそれゆえにやりがいのある作業でもあるようです.「創世記」の記述からして,アダムとイヴの創造には第一章と第二章ではズレがあるらしいんですね.それをどう解釈するかについて,古くから議論があって,アダムを両性具有とする説もあるのだそうです.わたくしたちがふつうに知っている(とおもっている)のとはちがう側面があることをおしえてくれます.アダムとイヴの創造を描いた図像にもいろいろあって,むかしのひとのイメージが多様であったことがわかります.「第II章」ではエデンの園がどこにあったのかという問題を取りあげ,ひとびとのかんがえと想像力の種々相を古地図をもちいて示し,さらに楽園の生きものたちについても触れています.一角獣やハリネズミやサイやオウムなども描かれている由.著者は「ピーグル号に乗船して南洋の楽園の島々を巡ったダーウィン(一八〇九−八二)へとつながる動物への科学的な関心は、西洋において、こうしたエキゾチックな楽園のイメージによってゆっくりと、しかし着実に培われていたのではないだろうか」(p. 98)と,やや大胆な指摘をされています.つづく「第III章」では楽園追放の意味や,アダムとイヴのどちらが罪深いのかという考察におよんでいますが,この章ではわたくしは(ささいなことながら)「「アダム派(アダミテ)」と呼ばれる異端的な一派」(p. 123)のことをおもしろく読みました.現代のヌーディストたちの運動にもつながるものなのだそうです.(こんな一派があったなんて,はじめて知りました).最終章は楽園を追われたアダムとイヴのその後をあつかっていますけど,この章での主内容はカインとアベルの物語です.中世の宗教劇『アダム劇』を引用し,社会的な背景をうかがう著者の推察には説得力があります.ここまで,わたくしが述べてきたのは本書のごく一部です.もっともっとおもしろい話がいっぱい,詰めこみすぎとおもわれるくらいに盛りこまれていますので,美術や聖書に興味のある方々へおすすめの一冊といえます.