山岸凉子氏の新境地(?)が期待できるかも

山岸凉子『言霊』(講談社,2013年 5月)を読みました.山岸氏には,ご自身が創作し到達された世界をさらにダメ押しするかのように,ちがった角度から再検討しようとする傾向があるようですね.「日出処の天子」のあとに描かれた「馬屋古女王」はまさにそれですし,「舞姫 テレプシコーラ」につづく「ヴィリ」も芸術家としての意志を再確認する内容をそなえていました.今回の「言霊」も「舞姫」とおなじような世界をあつかっていますけど,「ヴィリ」とは逆に,<芸術家>をつつみこもうとする超自然的なものへの関心が重きをなしているように見えます.山岸氏は世界各国の神話・伝説(や実際の事件)をとりあげて独自の視点から作品化してきましたけれども,そこにあらわれたのは,<超自然的>なもののうちの<怪異>とか<怨念>とか<狂気>といった,どちらかといえばひとを非現実の世界に追いこみ破滅させるような性格がつよかったとおもわれます.が,「言霊」で描かれているのはそうした尺度をこえた,善悪などの価値や評価をふくまない,まったくの<気>(とでもいうべきもの)ではないでしょうか.ここでの<言霊>ははたして本当にある(あった)のかすら,わかりません.しかし,作品のラストちかくで繰りひろげられる澄ちゃんの長大なモノローグは,たんなる個人のおもいの流露だけでなく,<言霊>との一体化がなされている,とおもわされます.わたくしの勝手な解釈かもしれませんけど,ここに山岸氏の新境地(の可能性)を見いだすことができるのではないかと,ひそかに想像しています.