三題噺というわけでもないんでしょうが

渡辺 保『煙管の芸談』(幻戯書房,二〇一四年四月)を読みました.「煙草」「酒」「水」の3部に分かれています.あらたに書き下ろされた,まえがきに当たる章で,著者の個人的な体験も折りこみながら,これらの道具(というか,テーマというか,あるいはアイテムというか)が芝居でどのように扱われ,どういう意味や役割をもつのか,どのような効果や感動を見物に与えるのか,といったことを述べ,本文では数多くの作品に即して具体的に語っておられます.舞台を髣髴とさせるかのような記述,さまざまなエピソード,芝居の見どころなど,歌舞伎の初心者にとっても,また観劇歴のながい方々にとっても有益で,かつ楽しんで読める内容の書物になっています.と,褒めたあと例のアラサガシで恐縮ですが,気になった点がいくつかあるので,非礼をかえりみず指摘しておきます.
「壇浦兜軍記」で阿古屋が語る景清との馴れ初めを「いつ近付きになるともなく、羽織の袖のほころび、ちょっと時雨の唐傘、雪の朝の煙草の火、寒いにせめてお茶一服、それがこうじて酒一つ」(p. 37)と引いておられますけど,「時雨の唐傘」のつぎに「お易い御用」ということばが入るのではなかったでしょうか.「伊賀越道中双六」の政右衛門のことを「幼少のとき父母に別れて孤児になり、幸兵衛夫婦に育てられた。幼名庄太郎。剣術柔術を幸兵衛に教えられたが、十五のとき志を立てて家出。十五年ぶりで師匠幸兵衛の家を訪れる。敵の行方を探るためであった。というのは幸兵衛の娘お袖は、敵沢井股五郎の許嫁者。九州へ落ち延びる途中でお袖のもとを訪ねるに違いないと睨んだからである」(p. 41)と説明しているのは,前半はいいとしても「十五年ぶりで」以下の部分は,いったいどうすればこういう解釈が出てくるんだろうかと,あっけにとられてしまいました.「妹背山婦女庭訓」の入鹿について「入鹿は母の夢にその胎内に鹿が入ると見えて誕生したから「入鹿」という」(p. 152)と書かれていますが,浄瑠璃では漁師鱶七(じつは鎌足の忠臣金輪五郎今国)がお三輪に入鹿の出生の秘密を「彼が父たる蘇我蝦夷子。齢傾く頃までも一子なきを憂い、時の博士に占はせ、白き牝鹿の生き血を取り母に与えしその印。健やかなる男子出生。鹿の生血胎内に入るを以て入鹿と名付く」と語っています.象が胎内に入った夢を見た摩耶夫人が釈迦を懐胎したという説話あたりと混同されたのでしょうか.不親切なルビがあるのも,困りものです.「江戸、大坂、京都の三大都市」を「三津」と呼ぶと書かれています(p. 75)けど,ここには「さんがつ」というルビしかほどこされていません.「石切梶原」の本名題「三浦大助紅梅靮」にも「みうらおおすけこうばいたづな」とのルビが振ってあります(p. 105).若いひとたちに間違った知識を与えかねない,という点からも,やはりまずいのではないでしょうか.